『ここさけ』の成瀬泉(順の母)や『さよ朝』のマキアやレイリアを見ていると、子にとっての親離れとは別に、親にとっての子離れという問題があり、それは親が子の成長を認めて一人の――他でもないその子自身の人生を歩んで行く――人間として尊重することなしには達成され得ないことなのだなあと思いました。
子の人生を自分の人生(の代わり)にするのでも、自分の人生を子の(為の)人生にするのでもなく、それぞれが別個な人間であると気付くことは、ある時期以降必要になるでしょうし、親にとってはそれが最後の「成長」なのかも知れませんね(もっとも最初から分かっている親もいるでしょうが)。