2016年8月31日水曜日
【メモ】『君の名は。』新海誠インタビュー
22:00『君の名は。』新海誠インタビュー前編 「エンタメど真ん中」を志した理由とは
http://kai-you.net/article/32700
“『君の名は。』の企画書を描いたのが2014年の7月頃。その年の2月に、通信教育・Z会のCMとして『クロスロード』という作品を制作しました。離島に住む少女と東京に住む少年の人生が、同じ大学を受験することで交差する物語です。このCMで、本来は出会うはずのない男女の触れ合いというモチーフに手応えを感じたことが、制作のきっかけになっています”
“今は名前も顔も知らないけど、未来で出会う人の中には、将来大切な存在になる人がいるかもしれない。僕たちの日常は、そういった可能性であふれているということを、より深く掘り下げて描きたいと思いました”
“その中で、小野小町の「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを」という和歌を出会いのヒントにさせてもらったり、性格が正反対な男女を取り替えて育てる「とりかへばや物語」(平安時代に成立した作者不詳の物語)から、“入れ替わり”というアイデアを得たりすることで、徐々に作品の世界を組み立てていきました”
“田中さんとの出会いは、『クロスロード』で感じた手応えのひとつです”
“僕がそれまで行ってきた、背景美術を全面に押し出すような作品づくりと、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』や『心が叫びたがってるんだ。』など、キャラクターアニメーションを代表する田中さんの絵が、同じ画面上で成立する”
“最初は実現の可否を無視して、自分の好きな作画監督として「安藤雅司さん」という話をしていたんです。制作スタジオであるコミックス・ウェーブ・フィルムに、スタジオジブリ出身で安藤さんの先輩だった人がいたので、是非にとお願いして紹介してもらいました”
“田中さんのキャラクターは、コアなファンはいるけど、一般の人からすると実はまだ馴染みが薄い。言うなれば、深夜アニメに代表される、日本のアニメの尖った部分です”
“それを、スタジオジブリなどのより一般に向けた作品をつくられてきた安藤さんが動かすことで、とても新鮮味のある画面になっている気がします”
“本作の場合、田中さんのデザインしたキャラクターたちは、安藤さんの解釈が入ることで、大衆向きに少しやわらかくなっています”
“また、スタッフには安藤さん以外にも、原画にスタジオジブリ出身の方がいるのですが、そういった人の絵を安藤さんがぐっと田中さんの絵に引き寄せる”
“そういう綱引きの中で生まれた絵は、日本のアニメーションのさまざまな文脈を豊かに含んでいて、とても味わいのある画面になったと思います。2人が参加することで、自分としてはまったく予想していなかった効果が生まれました”
“本作では、今までであれば僕らの制作スタジオでは物理的に難しい、と判断していた芝居づけでも、あまり気にせずコンテに取り入れていきました。というのも、『言の葉の庭』や大成建設のCMでもいっしょにやっているアニメーターの土屋堅一さんが参加しているからです”
“生活芝居を得意とする彼がいるなら、今までは控えていたような、何気ない日常における芝居は割と入れてしまおうと。土屋さんに関しては、コンテの段階であてにしていた部分はあるかもしれません”
“今回は、いわゆる絵コンテではなく、時間軸もわかるビデオコンテをつくりました。セリフのニュアンスや会話のテンポ感を固めるための意味合いもあって、全部自分で声をあてています。このビデオコンテが制作にひもづくすべてのベースになっています”
“例えば、キャスト陣にとっての演技指導、作画や劇伴のための設計図、プロデューサーからしてみれば、作品が面白いか否かの判断材料──脚本や絵コンテだけでは難しいかもしれませんが、本編に近い100分ちょっとの映像であれば、それぞれのポジションにとって、より作品を理解しやすいと思ったんです”
“『君の名は。』の上映時間である107分間をいかにコントロールするかは、僕にとっての大きな仕事でした。具体的に言うと、107分間の観客の気持ちの変化を、自分の中で完璧にシミュレーションする。過去の作品では把握しきれなかった時間軸を、今回は完全にコントロールしようと思いました”
“とにかく見ている人の気持ちになって、できるだけ退屈させないように、先を予想させない展開とスピードをキープする。一方で、ときどき映画を立ち止まらせて、観客の理解が追いつく瞬間も用意する。それらを作品のどの場面で設けるか、徹底的に考えました”
“結果として、過去最多となる約1650カットの本作で、全編にわたって時間のコントロールをやりきれたという感覚はありますね”
“芝居に頼らないと言いつつも、結果的に、絵で伝えられる表現力のすごさを実感しました。例えば、クライマックスで三葉が坂道を走って転んでしまうというシーンがあります。このシーンを担当していただいたのが、『人狼 JIN-ROH』や『ももへの手紙』などの監督である沖浦啓之さんなんです”
“コンテ通りの芝居なのに、沖浦さんが描くことで、想定したよりも何倍もエモーショナルなシーンになっていて、それを見たときは単純にちょっとびびりましたね(笑)”
“ボーカルの野田洋次郎さんには、2014年の秋くらいに、脚本の第一稿をお渡ししました。つまり、映画制作の初期の段階で、いっしょにやることを決めていたということです”
“脚本をお渡ししてから3〜4カ月で、脚本の全体的なイメージを基にして「前前前世」や「スパークル」といった楽曲のラフが上がってきました。それらの楽曲があまりにもすばらしかったんです”
“僕自身がファンということも大きいかもしれませんが、RADの曲としても新鮮であり、たとえ映画から切り離したとしても、すごい楽曲をもらってしまったと感じました”
“「これほどの曲があるなら、ストーリーの中で音楽がイニシアチブを握る時間をつくらなくてはいけない」──そう思わせるほどの衝撃でした。それ以降、ビデオコンテと楽曲は並行してつくっていったんです”
“ビデオコンテをつくっているところに彼らの曲が上がってきて、実際に曲をあててみて、互いに演出や楽曲の試行錯誤を繰り返す。そういった作業を、1年半ひたすら続けていきました”
“僕の映画作品を見ていただいている人からすると、前作『言の葉の庭』から『君の名は。』の間に、作品性における大きなジャンプを感じるかもしれません。でも、僕自身の中ではこの2つの作品は、強い連続性でつながっているんです”
“説明すると少し長くなってしまいますが、簡単に言うと、『言の葉の庭』と『君の名は。』の間にした色々な仕事からの連続性です”
“それは例えば、大成建設やZ会のCMなどですが、なかでも本作をつくるうえで最も大きかったのが、『ダ・ヴィンチ』(KADOKAWA)での小説版『言の葉の庭』の連載です”
“およそ8カ月、オムニバス形式の連載だったので、ひと月ごとに物語を完結させる。それらは今思えば、物語づくりのトレーニングとして、『君の名は。』につながっています。1話を書くにあたって、数冊の本を読んだり、数人の人に会って、話を聞いたりしていて、創作に関わる一連の活動で得た手応えや手つきを使ったという意味で、『君の名は。』にも連続性を感じますね”
“『君の名は。』の制作にあたって、自分に大きな変化が起きたという意識はありません。エンタメのど真ん中を目指した作品ではありますが、あくまでも、自然な変遷の中で生まれたものとして位置づけています”
“ただ、以前の自分であれば、力量不足だった部分もあると思います。CMや小説などを通じて、物語るための力を蓄積していったことで、今ならば、もっと鮮明にエンターテインメントを描けるという感覚はありました”
“さらに言うと、田中さんとのタッグがあったからこそ、「ど真ん中を突ける」という気持ちにさせられた部分も大きいと思います。それくらい、彼との出会いは、自分にとって何か大きな武器を手に入れたような感覚がありました”
『君の名は。』新海誠インタビュー後編 震災以降の物語/『シン・ゴジラ』との共時性?
http://kai-you.net/article/32911
“『君の名は。』は、震災以降でなければありえなかった作品だと思います。とはいえ、物語を考える過程で、自然に出てきたモチーフでした”
“直接的に震災を描いてはいませんが、僕らには、知識や体験として震災がある。2011年以降、僕も含めて、多くの日本人が「明日は自分たちの番かもしれない」あるいは「なぜ(被災したのは)自分たちじゃなかったんだろう」という思考のベースに切り替わっていったように思います”
“そういう意味では、2011年を境にして、僕たちは以前と違う人間になっている。変化した受け手に向けて、同じく変化したつくり手がつくる物語としては、決して不自然なモチーフではありません”
“僕らはその変化の上に生きているのだから、フィクションに対する想像力も変わってくる”
“例えば、僕は小説家の村上春樹の作品が好きですが、オウム真理教事件以降、彼が信者や被害者に取材した『アンダーグラウンド』という分厚いインタビュー集があります。いろんなことを感じる読み物ですが、僕は、そのノンフィクションではなく、それ以降に結実していった小説の方が好きです”
“『君の名は。』も、あの震災を物語の中心に据えよう、真正面から向き合おうと思ったわけではありません。自分の身近な出来事として感じてもらえる物語を書こうとしたときに、フィクションでありながらも、確からしさを感じさせる舞台装置だった、というのが正直な気持ちですね”
“技術的に迷ったシーンはわりとあるんでけど、一番は、三葉に起きたことを知った瀧が、再び三葉の身体に入ってしまうところ。その時の彼のテンションは、だいぶ悩みました”
“三葉のことも糸守というの町のこともすべてを知って、友人たちと作戦を立てるシーンは、「なんとしても救いたい」という瀧の気持ちを汲んで、最初の段階ではシリアスなテンポで描いていました”
“でも、プロデューサーの川村元気に「何かここちょっともたついている気がする」と言われて考えていたんですが、やっぱり彼は高校生なんだと。根拠のない自信もあるし、大変な場面だけど腹も減る。だから、いつまでも暗い気分のトーンに支配されていることはないんじゃないか。そう考えなおしました”
“あそこで流れているのは、パーカッシブでマッドな雰囲気の、勢いある曲です。それで、展開もセリフもほぼ変えず、でもトーンをもう少し明るくと言うか、テンションがみなぎっている男の子と仲間たち、という方向に舵を切ったんです”
“確かに、今回の登場人物たちは、外に向いている人たちですね。でもそれは単純に、自分の制作環境の変化にあるような気がします。『ほしのこえ』は個人制作だったので、暗い部屋の中、1人で描いている当時の気持ちが、作品全体に反映されているんだと思います”
“あとは、手間がかかるという意味で、登場人物を1人たりとも増やしたくない、という問題(笑)。最低限の要素で語るという手法が、結果的に、2000年代初頭の空気感とリンクしたのかもしれません”
“そういう意味では、『君の名は。』を長峰美加子と寺尾昇(※『ほしのこえ』の主人公)の物語としてつくったとしても、2人は三葉や瀧と同じように行動していたでしょう。スタッフが増えた今の制作環境であれば、やっぱり同様の物語になったような気がするんです”
“最終的に、大人であり行政をまきこむ。そうしないと、リアリティのない、なんでもありの話になってしまいますし、三葉が自分を取り巻く父親や社会と、正面から向き合うことなく終わってしまうので。最後はどうしても、大人に向き合うようにしよう、というのは決めていたような気がします”
“定義によりますけど、確かに『ほしのこえ』はセカイ系でした。ただ、前作『言の葉の庭』でも学校という社会が出てくるように、徐々に社会的な部分を作品の中で描くようになっています。これは僕自身の変化のように思う一方で、やはりそれも、僕が生きている時代の変化のような気もします”
“『ほしのこえ』をつくった2002年は、いわゆる“セカイ系”と呼ばれる作品が生まれた時代にリンクしていただけだと思います。意識的に、時代にリンクしたい、作風を変えたいと思っているわけではありませんが、同じ時代の空気を吸った人間がつくっているので呼応する部分はあると思いますし、自然と表現内容が変化しても不思議ではないですね”
“確かにこれまでは届かないことへの諦念、あきらめみたいなものを抱えて、それでも生きていく姿を描いていました”
“これも『言の葉の庭』から変わってきていますが、『君の名は。』では、ある意味、奇跡が起こる物語にしようと思ったんです”
“東宝で300館規模だから、とかではなく、なにかしらの願いの物語にしたいという気持ちがありました。震災以降、大きな事件や災害があった中で、いろんな人が願ったり祈ったりした気がします。「こうじゃなかったらよかったのに」とか「こうすればよかった」と”
“2010年代は、そういう、社会全体が強い願いや祈りに支配された時間が何度かありました。現実で実際に叶ったもの、叶わなかったものがあったと思いますが、フィクションでは、そこに希望を込めた物語を描きたかったんです”
“例えば『秒速5センチメートル』をつくったときは、そういう感覚がなかったんだと思います。強い願いや祈りみたいなものを持っている人は個々にはいたんだろうけど、社会全体としては持っていなかったと思うんです。みんなが実際に体験したことだからこそ、絵空事ではない、もう少し生の感覚として描けると思って、今回のような結末を描けたんだと思います”
“脚本を書き始める前の企画書の段階で、ラストの形ははっきり決まっていました。迷いはなかったと思います”
“シンクロニシティですか……確かに、起こりうることだと思います。人は誰しも構造的に似通っているので、ある出来事を自分の中で処理するまでの年数に、大きな違いはありません。同じ時代で、同じ空気を吸ってきた人間同士なので、同じようなモチーフや表現は、同じ社会に生きている以上、同じタイミングで生まれてもおかしくないと思います”
“だから、『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』、『君の名は』と『君の名は。』、それぞれが互いに響き合う関係があるならば、本当に光栄です。偶然の一言で片付けることもできますが、個人的には、『君の名は。』という作品は、僕がつくらなくても誰かがつくったんじゃないかという気持ちも強くありました”
(時代に要請された必然性か)
“ちょっとオカルトめいているかもしれませんが、わずかながらそういった感覚があります。『ほしのこえ』をつくった当時も、同様の感覚がありました。そう感じたのは『ほしのこえ』と『君の名は。』だけです”
“『君の名は。』という作品は、さまざまなタイミングが組み合わさって完成しました。3年前または3年後では、同じスタッフ、同じモチーフではつくれなかったと思います。2016年にだけ、本作がハマる穴のようなものがあって、そこに向けた作品を2年間つくってきたように感じています”
“そしてその穴は、僕がやらなくても、誰かが空けて埋めたんじゃないかと、そんな気がしますね。今回、それをつくらされたのが僕だったような感覚です”
※当エントリ(を含むメモ記事)の日付はメモを時系列に並べるため、実際のエントリの公開日(2016年10月25日)ではなく、元の記事の公開日にしてあります。時刻まで分かっている場合は(元の記事と公開日時が同じというのもおかしな話なので)その30分後、分からない場合は18時に設定しています。
http://nanamine-galley.blogspot.com/2016/08/Shinkai-2016-08-31.html【メモ】『君の名は。』新海誠インタビュー