2018年10月11日木曜日

鑑賞日記:TVアニメ『魔法少女リリカルなのは』 #03

 第三話「街は危険がいっぱいなの?」を観ました。

・高町士郎さんほんといいお父さん。
・なのはさんのお着替えシーンがえっちぃ(あとユーノくんの反応が可愛い)。
・お父さん、傭兵でもしていたんだろうかってレベルで体中に凄い傷がある。
・「災厄」なんて言葉を小学3年生で知っているなのはさんスゴい(私は成人しても知らなかった)。
・変身時の杖が生成シーンやシューティングモードに変形するシーン好き。
・遠隔魔法カッコいい。

 1話の「助けて」、「ジュエルシード」という名称、2話の「ひとりぼっちは寂しいもん」、3話の強い願いが災厄を招く展開などを見るに、『まどマギ』はこれらをオマージュしているのかなーと思ったのですが、どうなんでしょう(などと言っていたらレイジングハートがキュゥべえの目に見えて来ました……)。

 魔法少女アニメなんて他にもいっぱいあるだろうし(故にジャンル内でのお決まり設定もあるだろうから)、考えすぎかな。あるいは、いろんな魔法少女アニメから少しずつネタを仕入れていて、『なのは』もその一つとか。


【台詞メモ】

 「自分なりの精一杯じゃなく本当の全力で、ユーノくんのお手伝いではなく自分の意志で、ジュエルシード集めをしようと思いました。もう絶対こんなことにならないように」(高町なのは)

2018年10月10日水曜日

鑑賞日記:TVアニメ『魔法少女リリカルなのは』 #02

 第二話「魔法の呪文はリリカルなの?」を観ました。

・私も「ユーノくん」って呼ばれたい!
・なのはさんって左利きなのね(気付かなかったけど、1話の時点でお箸を左手で使っていた)。
・えへ顔なのはさん可愛い。
・被害に会った女性は、1話でなのはさん達がすれ違った女性か(犬で気付いた)。


【台詞メモ】

 「だって、もう知り合っちゃったし、話も聞いちゃったもの、ほっとけないよ。それに、ゆうべみたいなことがご近所でたびたびあったりしたら、皆さんのご迷惑になっちゃうし、ね。ユーノくん、ひとりぼっちで、助けてくれる人いないんでしょ。ひとりぼっちは寂しいもん。私にもお手伝いさせて」(高町なのは)

 「困っている人がいて、助けてあげられる力が自分にあるなら、そのときは迷っちゃいけないって、これ、うちのお父さんの教え。ユーノくんは、困ってて、私はユーノくんを助けてあげられるんだよね。魔法の力で」(高町なのは)

鑑賞日記:TVアニメ『魔法少女リリカルなのは』 #01

 OPだけは何度も観ている(集中力が無いので毎度そこでやめてしまう)第一話「それは不思議な出会いなの?」をようやく最後まで観ました。以下、感想。

・とことこ歩く小犬が可愛い。
・魔法陣やなのはさんがフェレットを飼っていいか尋ねるシーンや動物病院まで走るシーンの動きがスゴい。
・パンツ。(最低の締め)

 パンツ見せる必要あるのかなーと思わなくもなかったですが、子供向けの夕方アニメならともかく、エロゲ原作の深夜アニメなら、これくらいのファンサービス(?)もありなのかな。


【台詞メモ】

 「この広い空の下には、幾千幾万の人たちがいて、いろんな人が、願いや想いを抱いて暮らしていて、その想いは、時にふれあって、ぶつかりあって、だけど、その中のいくつかは、きっと繋がっていける、伝えあっていける。これから始まるのは、そんな、出会いとふれあいのお話。魔法少女リリカルなのは、始まります!」(冒頭ナレーション)

 「やりたいことは、何かあるような気もするんだけど、まだそれが何なのかはっきりしないんだ。あたし、特技も取り柄も特にないし」(高町なのは)

2018年9月10日月曜日

親の子離れ――『ここさけ』と『さよ朝』の母子

 『ここさけ』の成瀬泉(順の母)や『さよ朝』のマキアやレイリアを見ていると、子にとっての親離れとは別に、親にとっての子離れという問題があり、それは親が子の成長を認めて一人の――他でもないその子自身の人生を歩んで行く――人間として尊重することなしには達成され得ないことなのだなあと思いました。

 子の人生を自分の人生(の代わり)にするのでも、自分の人生を子の(為の)人生にするのでもなく、それぞれが別個な人間であると気付くことは、ある時期以降必要になるでしょうし、親にとってはそれが最後の「成長」なのかも知れませんね(もっとも最初から分かっている親もいるでしょうが)。

2018年8月6日月曜日

ななみね可愛い大学

 よく間違えられますが、「ななみねかわいい大学」ではなく、「ななみね可愛い大学」です。普段から私が「かわいい」よりも「可愛い」をよく使うというのもありはしますけれども、それとは別に、「ななみね」がひらがな4文字、「かわいい」もひらがな4文字なので、そのまま並べるとメリハリのない字面になってしまうのですよね。

 というのは前振りで、何が言いたいかと言いますと、普段から大抵の人間は人や物の名前について思いのほか無頓着であるなあということです。もっとも、「ななみね可愛い大学」はただのTwitterにおけるネタ(私が学長を務める架空の大学)なので、その正誤自体は割りとどうでもいい(本当はどうでも良くない)のですが、例えば映画のタイトルや登場人物の名前などついて、私個人は既に何回も入力したりして自信がある場合を除けば、必ず検索して確認するようにしているのですけれど、映画館のスケジュールページを見ると意外と微妙に違っていたりするのですよね。

 違うと言っても流石に漢字やひらがな、カタカナの記述といったレベルでの間違いではなくて、括弧やスペースを入れるかどうか、入れるとしたら全角か半角か、感嘆符や疑問符は全角か半角かというようなことなのですが、私としてはそのような(恐らく一般的には些細なこととされているであろう)ことでも雑にはしたくなくて、何故かと言うと記号の有無や半角と全角の違いによって、字面から受ける印象も異なって来ると思うからです。

 したがって、基本的にタイトルに関しては公式Webサイトのタイトルをコピペしてツイートすることが多いです。昔の作品だったりでWebサイトがなければパッケージを参考にできるだけ近い字面になるように打ち込んでいます。

2018年7月19日木曜日

雑記――2018-07-19 #02

 嫌いだから不快だから迷惑だからといった理由で簡単に人を排除してはいけないと思うのですが、そんな状態で我慢をしながら関係し続けるというのも大変難しい話なので、ある程度の不都合は妥協して受け入れながらも、適当な距離を取ることで共存を図るというのが穏当なやり方だとは思うのですけれど、こと個人的な(ところでどこまでが個人的とされるのでしょう?)人間関係においては、その「適当な距離を取ること」自体が、相手との関係性や相手の性格によっては難しいことがあって、難しいなと思いました(思い切りの良い人ならこんなことで悩まずバシバシ関係を断てるのでしょうね)。

雑記――2018-07-19 #01

 嫌いな人間に自分のネタをパクられることほど不快なことは無い(比喩的なもので、実際はあるかも知れない)なと思いました……。なぜならその瞬間不快であるだけでなく、自分の言葉に対して嫌なイメージが付着することで、その後が使いにくくなってしまうからです。

 とは言え、そう思って使わないのは一番残念なことだし、相手の影響力に屈したことにもなるので、変わらず使い続けるのが良いのだろうなと思います。