2018年4月27日金曜日

アルテミスがソレントのメカゴジラに投げ入れた爆弾は何か

 映画『レディ・プレイヤー1』の終盤において、ヒロインのアルテミスが敵のソレントが乗り込むメカゴジラに緑色の顔をした爆弾を投げ込むシーンがあって、あれは何だろうと思っていたところ、フォロワーさんも同じく疑問に思われていたようでしたので調べてみました(と言ってもちょっと検索しただけですが)。

 日本語だとTwitterやGoogleで検索してもそれらしい情報が見つからなかったのですが、英語だと流石に鑑賞者も多いのか見事に同じ疑問が投稿されているページが見つかりました。

What was the bomb with the face atriums throws at sorentos avatar while he’s in the mecha Godzilla? Garbage pail kids? : readyplayerone
https://www.reddit.com/r/readyplayerone/comments/88ed81/what_was_the_bomb_with_the_face_atriums_throws_at/

Madballs - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Madballs

 1980年代半ばにAmerican Greetingsの子会社AmToyが作っていたMadballsというゴムボールのおもちゃが元ネタのようです。気持ち悪い顔をした各キャラクターにはそれぞれ概要と名前が与えられているそうです。アニメやゲーム、漫画にもなっていて、グッズも数えきれないほど出たみたいですね。最近ではリバイバルもされているそうです。

 私はこういうデザインのものが苦手ですが、子供の間で流行りそうなのは分からなくもないです(笑)

2018年4月24日火曜日

iDOL Emotion LiVE supported by MUSIC B.B. 4月24日公演

 「キミコエ・オーディション」の合格者で結成されたアイドルユニットであり、映画『きみの声をとどけたい』のメインキャストも務めているNOW ON AIR(以下NOA)も出演するイベント「iDOL Emotion LiVE supported by MUSIC B.B.」が本日池袋のイベントスペース「Space emo 池袋」で開催されるそうなのですが、あまり時間がなくて間に合うか微妙だった(たぶん間に合ったかも知れないけどかなりドタバタしそう)ので諦めました……。「ライブの情報をせめて一昨日知っているか今日寝過ぎなかった」または「ライブ会場かチケット購入先どちらかを利用したことがあった」ら良かったのですが……。道に迷う可能性とか会員登録やアプリのDLやログインなどの手間を考えているとギリギリは怖いのですよね(加えて今日は降水確率も高いみたいですし雨が降ったら――急ごうにも走れないしスマホのナビも使いづらいので――余計に動きづらそう)。別に遅れてもNOAの回から途中入場というのもできたのかも知れませんが、うーん、行きたかった。


iDOL Emotion LiVE supported by MUSIC B.B. 4月24日公演 | Space emo
http://space-emo.com/?ai1ec_event=ai1ec_event-856

2018年4月21日土曜日

雑記――2018-04-21

 基本的にいつもへらへらしているしへらへらするしかないと思っていたのですが、一人でも敬意を抱いて下さっている方がいるなら、(その方に恥をかかせない為にも)もう少し背筋を正して生きてゆかねばならないなーと思いました。

2018年4月20日金曜日

雑記――2018-04-20

 これは私自身にもそういう傾向があるから自戒を込めて記すのですが、自分と異なる意見を述べているころを2, 3回見ただけで「こいつ頭悪いな」とか「こいつとは合わないな」などと思ってしまうというのはありがちだなと思います。

 前者に関して言えば、自分と異なる意見だからといって相手が間違っているとは限らないし(自分からは勿論そう見えるものでしょうが、往々にして他人は自分が思っている以上にそのことに関して深く考えていたりするものです)、仮に間違っていたとしても人間なのでそういうこともたまにはあります。安易に他人の知性を低く見積もるべきではないような気がします。

 後者ついては、逆に考えればその数回以外の大抵のことは許容できるわけですし、それらに目をつぶってしまえば、関係を継続できるということですよね。たった2, 3の価値観の相違で関係を断ってしまうのは勿体ないように思います。無論、何をどこまで許容するのかは人それぞれなので、たとえ少数であってもそれらがどうしても受け付けない内容なのであれば仕方ないのでしょうけれども、ことネット上の人間関係においては絶縁という手段があまりに頻繁に採られるような気がします。

 「カジュアルブロック」「所詮ネットの関係」という言葉に象徴されるように、多くの人にとってネット上の知り合いというものは、手軽に得て手軽に捨てられる――とまではいかないまでも努力してまで維持するには値しない程度のものなのだろうなと思います。私はリアルで友人がそれほど多くない(引っ越したので今の環境では0です)こと、できるだけ友情は重んじたいと思っていること、常にTwitterに入り浸っていること、ネットとリアルで友人の区別をしないことなどの要因が組み合わさっているので、上記のような思考になってしまうのですけれども、普通はそこまでネットの人間について重く考えないのでしょうね(だからといってそれを悪く言うつもりもありません)。

2018年4月17日火曜日

『空の境界』劇場公開10周年記念特別上映

ニュース | 劇場版 空の境界
http://www.karanokyoukai.com/news/index.html#news46752

“劇場公開10周年を記念して、シネ・リーブル池袋にて『劇場版「空の境界」』ビデオマスター版の特別上映が決定!”

日程は、

第一章~第四章:5/12(土)~5/18(金)
第五章、第六章、Remix -Gate of seventh heaven-:5/19(土)~5/25(金)
第七章、終章、未来福音:5/26(土)~6/1(金)

第一章(3D):未定(後日発表)

とのことです。

 ちょうど『空の境界』(講談社文庫)のKindle版を買って読んでいたところだったのでタイムリーでした。せっかくなら5月の上映までに読み終えたいけど、私のペースじゃ難しそう……。

 それにしても今更『空の境界』を読んでいるって遅すぎますね(昔高校の友達が読んでいたなあ)。あと、どうでもいいですが、「『空の境界』劇場公開」って意図せずして韻を踏んでしまっています(「10周年」だけだと意味が違って来てしまうので「劇場公開」って入れたかったのですよね)。

『空の境界』読書日記 #001

 俯瞰風景を読み終わりました。感想は後で追記します。

2018年4月14日土曜日

雑記――2018-04-14

 もちろん自殺してしまった人が悪いなどと言うつもりはありません(ただ、残された身としては悲しいことだなとは思います)が、それでもやっぱりこのままならない人生をままならないなりに――たとえクズだとか駄目人間だとか言われるような生活を送っていたとしても――生きている人は偉いしスゴいし頑張っていると思います。

 生きづらさを感じている人って、「生まれたくて生まれて来たわけでもないのに」と思うことがしばしばだと思うのですけれど、「生まれたくて生まれて来たわけでもない」からこそ生きているだけで立派だと思うのですよね(だからと言ってその生きづらさがどうにかなるわけではありませんが)。実質的に選択の余地が無いとはいえ、やりたくもないことをやっているのですから、スゴいことです。

 それに(とても無責任なことを言いますが)あなた自身はそうは思えないかも知れないけれど、口に出さないだけであなたを好いてくれている人はいると思うし、死んで悲しむ人もいると思うのですよね。

 そういった意味でも、「価値があるから生きるのではありません。生きることに価値があるのです」(うろ覚え)という江原啓之氏の言葉(本の帯に載っていたのを昔見掛けたのです)は、それなりに正しい(かどうかは分かりませんが私は割りと好きです)のではないかなという気がします(彼のスピリチュアリズム全体がどうなのかは別として)。

 そもそも自分や自分の人生に価値とか意味とかを求めてしまう時点で、あまり健全ではない(哲学的な探究心などから来る人生一般に関するものであれば違うかも知れませんけれど)ような気はしていて、「価値や意味が無いからつらい」というのは本来思考の流れが逆な気はします。「価値や意味が無いからつらい」のではなく、「つらいから価値や意味にすがってしまう」というか(後者が起点になっているというだけの話で、それによって生じる前者的な悩みはもちろん実際問題あると思いますが)。

 心の底から人生を楽しんでいる人で「なんでオレ生きているんだろう……」なんて思う人は少ないような気がします(「いない」ではなく「少ない」と言ったのは、「めっちゃ楽しい! 楽しいけど、だからなんなんだ? どうせみんな死ぬのに?」と思う人もいそうだからです)。ハマっているゲームをプレイしながら「なんでオレこんなゲームやっているんだろう……」と思う人が少ないようなもので、そう思ってしまうのは往々にしてゲームをプレイすることがつまらなかったりつらかったりするときですよね(ソシャゲのガチャや周回が典型だと思います)。楽しければ単にプレイするだけです。

 もっとも、意味を求めることが駄目だとまで言うつもりはなくて、したくもないことをさせられていれば「これ意味あんの?」と思ってしまうのも無理はないと思います(子供が「なんで勉強しなきゃいけないの?」「こんな勉強して何か役に立つの?」と言うようなもので)。

 ただ本来多くの人にとって意味なんてものは(それを楽しんでいる限りにおいて)必要ないものだと思うし、楽しめないから意味を求めてしまうのであれば、先にやるべきことはまず楽しめるようになることであって、意味を捕まえることではない気がします。

 もちろん意味を得られるならそれでいいと思うのですけれど、とても難しい気がしますし、では意味を見つけたから「よし生きるぞ!」と前向きになれるかというとこれも怪しくて、「意味はあるけど楽しくない人生」(意味を見つけて人生が楽しくなる人であれば問題ありませんが)を生きるのはやはり依然として苦痛だと思います。数学や理科の知識が身近な電化製品の発明や設計に役立っていることを教えてもらった小学生が「よーし、数学やるぞぅ!」となるかという話で、もしなってくれればそれで結構なのですけれど、数学そのものの楽しさが分からないと、いくら応用先を知っても勉強がつらいことには変わりないのではないかなという気がします。

 楽しめるようになる、というのも大変難しいことだとは承知していますし、それができないから「せめて意味を」という思考に流れてしまうのも分かるのですが、後者が問題の根本であるかのように錯覚してしまうと事態がこんがらがるので(「楽しめないから意味を求める」→「意味がないから楽しくない」→「楽しそうだけどだから何?(意味ないんでしょ?)」といった具合に)、前者を基本に据えることを忘れないようにしておいた方がいいような気がするのですよね。

 とは言うものの(長々と書いてしまいましたが)、最初に言ったように生きている人は生きているだけでとてもスゴいことをしていると思うので、人生がいくらつらかろうがつまらなかろうが生きてくれてさえいれば、ひとまずそれでいいと思うのですよね(???「生きているならOKです!」)。本人は納得できないでしょうが。

 関連して付言すると、他人が幸せそうにしているのが面白くないという気持ちもわかりますし気に食わない言動には文句の一つでも言いたくなるのも分かりますが、だからといって楽しそうにしている人間を揶揄するのは、(他人をいじめているとか不当に嫌な思いをさせているとかでない限りは)あまり良くないような気がします(もしそれが「楽しい」としてもね)。

 話が散らかりましたが(またよく知りもしないのにテキトーなことを言ってしまいました……)、とにかくなんであれ(この界隈――と言っても私は足先がちょっと入っている程度の関わりしかありませんが――では10代20代で自ら命を断ってしまう人が多いことを考えると)生きている人はそれだけで偉いと思うし、仲いい人には長生きしてほしいなーと思うし、叶うことなら幸せになってもらいたいと思ったのでした。