2016年3月11日金曜日

ここさけについて語るときに我々の語ること

 去年の10月4日に初めて映画『心が叫びたがってるんだ。』(以下ここさけ)を観て依頼、その虜になってしまい、国内最終上映*1を含め同作を16回劇場で観ました。ここさけは私のTLでも人気で、特にwakさんは26回も観ていらっしゃますし、Nagさんはここさけを特集した同人誌『アニメクリティーク vol.1.5_β 心が叫びたがってるんだ。総特集号』を昨年末のコミケで発刊されています[1, 2]。同誌にはwakさんも投稿されていまして、大変評判がいいみたいです(あいにく私はまだ手に取れていません)。

 大変ありがたいことに私もNagさんにお誘いを頂いたのですが、人様にお金を出して頂けるような文章や将来に渡って責任を取れるような文章を書ける自信が無くて辞退してしまいました。とは言え、ここさけの感想については私も自分の思考を整理する上でもまとめてみたいと思っていたので、ちまちまとメモ帳に考えを綴っていました。ところが書いてみるとまとまらないまとまらない、一向に終わりが見える気配がしません。観る度に新しい発見があり私の中で解釈が変わって行ったというのも要因のひとつです。

 結局、16回観て(少なくとも現時点で)私が言えることは「ここさけの感想を書くのは難しい」ということだけでした。これについてはwakさんも同意して下さいました。私が今までアニメや映画などをあまり観たことが無く、従って感想も殆ど書いたことが無いというのも原因ではありましょうが、本当にここさけは第一印象に反して情報量が多くて、読み解いたりまとめたりするのが大変な作品だなあと思います。これだけ何回も観ておいて至った感想が「『ここさけの感想を書くのは難しい』という感想」というのも変な話ですが、それくらい私にとっては難しく、また魅力的な作品でした。

 1度目の視聴を終えた後、私は「『心が叫びたがってるんだ。』観た。めっっっっっちゃ良かった!!! あと10000回くらい観たい。このまま首を掻き切って死にたい。」とツイートしました。あれは何も最後の結末に驚いたからではありません。お城のシークエンスに感動したからでもありません。もっと別の何かがあった気がします。あの言い様の無い感覚は何だったのか、その感覚をもたらした「何か」を求めて、私やwakさんは何度もここさけという作品を観ていたように思います。

 wakさんが1回目の視聴の後に繰り返し「動揺」という言葉を使ってはてなブログに感想を書かれていましたが、あのエントリを読んで「はっ、あのとき私の抱いた何とも言えない気持ちは動揺だったんだ!」と腑に落ちたのをよく覚えています[3]。繰り返し観るうちに作品の理解(などと私が言うのもおこがましいですが少なくとも自分の中で感情の整理や納得感は得られました)が進んでその動揺が解消されてゆくのがここさけ複数回視聴の醍醐味でした。

 しかしながら、最初に感じた何とも言えない感覚も決して悪いものではありませんでした。むしろ心地良さを感じていたくらいです。だからこそ何度も足を運んだのでしょうし、私にとっては16回の鑑賞1回1回が貴重な体験であり大切な思い出です。本当にこの作品に出会えて良かったと思います。ここさけの制作に関わった皆様には感謝の念に堪えません。

*1 その後、ユナイテッド・シネマ アシコタウンあしかがや目黒シネマにて上映されることが決まりましたので最終上映ではなくなりました[4, 5]。

参考文献
[2] Nag, “告知:アニクリ新刊『vol.1.5 岡田麿里2012−2016/〈時〉をかけるアニメ』の発刊予定について #bunfree #anime_critique,” 書肆短評http://nag-nay.hatenablog.com/entry/2015/08/20/184648, 2015.
[3] wak, “『心が叫びたがってるんだ。』感想,” かつて敗れていったツンデレ系サブヒロインに捧ぐhttp://wak.hatenadiary.jp/entry/2015/09/27/184007, 2015.
[4] kokosakeproject, Twitterhttps://twitter.com/kokosakeproject/status/699508980721123328, 2016.